ステイトメント

楚里勇己

日本画とは曖昧なものであるという認識は最近の出来事である。学生時代はそれがあたかも伝統的なしっかりとしたジャンルとして存在していた。しかしそれは、大学とその周りでおこっている小さなサイクルの中だけであった。日本画というものを理解し歴史を知っている人はどのくらいいるのだろうか、掘れば堀るほど曖昧になってくる定義に自分は困惑している。

そんな中今回の震災が起こった。多くのアーティストが支援をしている中、自分は何ができるのか。自問自答を繰り返す中、日本画の世界を見てもそのような行動を起こしている者もいなかった。今日本画として社会的役割をしなければ日本画は時代に埋もれてしまう。今後社会と交わる事はできない。日本画は今作りなおさないといけない。

時代背景を感じられる日本画とは何か、今自分が見えているものは何か。

そのような中で、今の日本画は社会との関わりを持たなければならない。自分の社会との関わり。震災をうけ自分が何ができるかを考えている中、多くの情報やリアルな映像が流れてきた。被災していない人も被災者になった気になり、被災地に情けを持った。その映像、情報だけで自分は人を支援できるのか。ネット社会において流行は一瞬。物事はすごい勢いで風化してしまう。

twitter、facebook、youtubeなどのソーシャルネットワークもどんどん時間が短くなり、一分一秒の世界であるそのような社会を客観的に見てみる。ネット上での一枚フィルターを挟んだような世界に疑問をもった。そのフィルターを自分の作品に落とし込み制作をし、社会に今の作られた架空のリアリティーの危険性について提示する事は可能ではないか。それが今の自分のできる社会との関わり方ではないか。今の日本画を変えるならば社会との関わりは急務である、社会に対し日本画が近づかなければ何も変わらない。

社会との距離をいかにして縮めるか、着目すべきは今社会の中で関わりが持てているもの。そのような中、花の模様に着目した。デザイン、商品としての世の中に多く存在している花の模様、絵画、ましてや日本画に比べ、はるかに日常にあふれている。スカート、鞄、タペストリーなど多くのものは社会に交わる事ができている。そのような花の模様の中にもレベルの差も発生している。色、形、組み合わせ、そして流行、鑑賞者は模様のレベルの差に気づいているのだ。レベルがあがるにつれその模様は作品としての価値が高くなる。

一般に絵に触れた事のない人にとって、絵を見るより花の模様がある方が近づいてきてくれるのではないか。そのレベルが高い花の模様(と同様なくらいの自分の手書きの作品)を絵に取り込み、その中から社会に訴える事は可能ではないだろうか。自分もその模様から社会との関わりをもってみる事は可能ではないだろうか。

このような考えで作品を作り続ける中、自分の作品は模様として包装紙、着物の柄など多くのものに例えられがちだ。しかしながら、その中から作品として日本画として社会と交わりを持てるのであれば、鑑賞者が振り向いてくれれば量産されてもいいと思っている。どんなに作品が量産されてもオリジナルは一点である、その中から本物を所有したい人、本物を知っている人に作品を持ってくれれば自分の社会との関わりは成功と言える。

その花の模様の作品に今自分が訴えなければならないことを紛れ込ませ、鑑賞者を心地よくだまし、提示していく。今目を向けないと行けない事、日本人として忘れては行けない事を再認識させるため。鑑賞者ありきの日本画を描く、日常の中から日本画を作り上げていく。自分たちが作るべく新しい日本画は絵として長きにわたり、歴史としても残していく事が可能である。今おこっている事を風化させないため、振り返った時、今の時代を確認できるだけの日本画を今自分たちは作り出していかなければ行けない。

えんえん, 2011

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