ステイトメント

杉山愉岳

この度の、日本画zero展では今までの日本画がおざなりにしてきたであろう、その意味を考える展覧会となりました。それを考えていると日本人である自分や社会など、日本を考える事が必要だと思いはじめました。今まで、自分は日本についてあまり考えず暮らしていました。周りに良く見られたいという動機のみに突き動かされて絵を描いていました。この甘さが自分を、そして日本画をだめにしているのだと実感しています。

自我の滅却。そこから新たなる自分の創造。今までの自分の人生は甘えの連続でした。恵まれた時代に生まれ、親の恩恵を受けてなに不自由なく育ち、東京芸術大学の日本画科に合格してからは自信が確信に変わりもしました。そして大学院にも進学し、ますますその気持ちは大きくなりました。しかし、そこには何も中身がありませんでした。技術や大学内での曖昧な作法ばかりが身につき、自分には世の中の仕組みや常識が欠けていて、ただ絵を描いているという状況が拭えませんでした。それが27歳まで大学にいた結果です。

それでも自分には絵を描く事しかできない。どうにかしなくては人生を棒にふってしまうと思っています。今、自分について、日本について、日本画について、正面から見つめ考え直す事が自分の人生を大きく決める事になるでしょう。

私が日本画を選択した理由の一つに大学ができる前の日本画に対する憧れがありました。それは確かに日本を考え、日本に根付いた作品であったように思っています。しかし学校に入ってみると教えてもらえるのは画材の使い方や性質、そしてそれぞれの先生の趣味主観での講評会、その上には丸々、大学と同じような性質の公募団体へとつながる道がありました。それはきっと日本画という名前を世の中に対して上手く守っているだけではないのでしょうか。

今回の震災や福島の原発、日本政府の曖昧さ。日本には沢山の問題があります。なぜその事実を肌見で感じて描く日本画家がいないのか。そしてそこに日本人として誇りが持てるような力のある作品が存在するのか。日本の名前を背負っているジャンルのはずなのにそこに何も内容が無いとはどういう事なのか。学校では誰も日本画とは?という問いに答えられませんでしたし、教えてもくれませんでした。誰もそこに触れようとする人が日本画科にはいなかったのです。この重い問題がのしかかっているのが今の日本画です。これを考えねば、まさに日本画は消滅します。それで良いとは思えません。今、微力でも私達が動かなければならないと感じています。新たなる日本画の道はどこにあるのか。日本とは自分とは、今の僕たちにやれる事をがむしゃらにやるしか無いと思っています。

黒煙、立ち昇るの図, 2011

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