展覧会を観て 2011年5月3日:村上隆(5月4日加筆)

2011年5月13日関西圏を終え<日本マンガ式絵画科>誕生!突入にあたってのコメント

日本画ZERO:エンディング

日本画ZERO展も今週で終わりだ。本当は「日本画ZERO <日本画>改め、<日本マンガ式絵画科>誕生!」展で締めくくる予定だったが、「日本画ZERO【関東圏】」の作家達の「リベンジ展」の開催が急遽決まってしまい、展覧会が1週間延びてしまった。しかし、これもまた、なにかの必然であろうし、コレを機に一つの総括をしてみたいと思う。

総括としての展示は以下のようにした。

日本画ZERO:関東圏、3名によるリベンジ展@Hidari Zingaro
そして、日本画ZERO:反逆の残滓、田中一村、村上隆の大学時代の日本画@Kaikiki Zingaro
とする。

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日本画ZERO展

このプロジェクト展にどれだけのプロの日本画業界の人々が注目してくれたろうか?多分、ほとんどが「無視」を決めこんだであろう。「触らぬ神に祟りなし」とでも思ったに違いない。しかし、どちらにせよ、日頃の行いのツケが廻って来るのは時間の問題だ。

今の福島原発のように、25年程前から反原発運動家達が声を荒げてメルトダウンの未来予測の自明性を訴えて来て、その日が今訪れたように。(って、そこまで大げさじゃないかもだが)
日本画の美大での存在意義の無さも、数年内に具現化することは自明である。しかし、その日が来た時に今の日本画の学生諸君、及びこの文面を読んで気がついた日本画関係者は犠牲者面する事が無いようにしてほしいもんである。今今の楽な恩恵を受け、かつ、未来のクライシス時に責任転嫁するのは見苦しくかつ、芸術産業界の信用を失墜させるので、是非、今から心して欲しいものだ。どうして私はここまで「うらみはらさでおくべきか」的粘着で日本画の撤収を呼びかけて来たかをおさらいすると。

1、私自身、東京芸大日本画科博士号修得という立場にいる。
2、在籍時から現在に至るまで日本画のマーケットを軸とした構造に日本の芸術産業の悪の温床をみて来たので、その解体を訴求したい。
3、日本画の問題と同じ問題が現在の日本現代美術マーケットにも滲み出て来ており、つまりは日本人の問題として処理せねば悪汁はどこにでも滲み出て来てしまう。

そう感じているからだ。

東京芸大には世話になった。恨みは無い。その発生時、岡倉天心が希求したであろう美術大学発祥の志は潰えいまや、形骸化し、無責任な「教育」の堕落の温床地になっている事は誰の目にも明らかだ。その学び舎の堕落を憂いつつ、手をこまねくだけでなく一矢報いんと東京の端っこから展覧会と言う形で発信している訳だ。

GEISAIという若手アーティストの育成プロジェクトを10年間行い、カイカイキキと言う会社で若手アーティストのマネージを行い、今、私の作品を現役美大生や卒業生に手伝ってもらっている状況で見えてくる、若い日本人アート志望者達の質の低さは、どこから手をつけていいかわからない程だ。無教養、無気迫。その裏返しで 膨らみ切ったエゴ、狡猾な権威への擦り寄り。今問題になっている、東京大学学閥の流れの電力事業人脈体系樹的な構造を夢想し、楽に喰える事を第一義とした東京芸大頂上構造でも造ろうとしているのか?

そんな彼らに手を差し伸べる必要も無いのかもしれないが一縷の希望を見いだしたい。それがこの企画、「日本画ZERO」だったのだ。

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私が日本画と言う世界に足を踏み込んだのは偶然であった。
選んだ学科は日本画。理由は以下のとおり。

●漫画、アニメ絵が下手
●油絵、デザインのような特殊な受験絵は描けそうにない。
●日本画の受験絵はリンゴやお花をスケッチすれば合格可能なら出来そう。

そして簡単そうな日本画のスケッチにも手こずり2年間浪人して大学に入った。アニメーションの世界に入りたかったが漫画絵を描く才能に恵まれず、かといって勇気を出してその世界に飛び込めなかった。また、在学中はアニメーションのクラブで自主制作のアニメを造っては見たが才能の無さに挫折し、3年で諦めた。そしてオタクにもなれなかった。そして芸大の日本画科に入学してあれこれ見聞きして思うところあって日本画を離れて現代美術の世界へ飛び出した。

つまり、私だって臑に傷もつ身。今のゴミ的学生連中と同じ穴の狢だ。

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今回、その東京芸大日本画科を卒業し、または在学している者で私の作品の制作を手伝っている連中が『日本画ZERO:関東圏』で展示し私にボロクソに言われ、そのリベンジと言う事で、2週間の製作期間で新作をもって展示する機会を設けた。この文面を書いている今、彼らの作品の進捗を見てはいないが、大した作品が出来る訳が無い。ある意味での「晒し者」だ。しかし、若いとはそう言う事だと思う。

その「晒し者」だけでは人様に足を運んで頂くのも酷であろうということで2つある展示場の1つに、私の学生時代の作品と、日本画の画壇と対峙して中央画壇を捨て、遠く奄美大島にて画業を全うした日本画家、田中一村の千葉在住時の悩める絵画作品も展示しようと思う。

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敗戦後65年を経て、今、日本が出会っている状況は震災を契機とした「国難」だそうだ。被災した福島原発の事故は明らかに「国難」的様相を呈している。「国難」時の今、その国の名を冠にした画業を営む者の中に真の日本の画業とはなにか?を思考する者は1人もいないのである。その環境に一石を投じ啓発教育を施し、10年後の「いまよりはマシ」な日本の画業を営めるよう、このプロジェクトは継続してゆく。

村上隆

2F Kaikiki Zingaro展示作品

梨花,1948
田中一村
1916 × 1159 mm
LINE46,1982
村上隆
1560 × 968 mm

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