ステイトメント

阿部瑞樹

まず初めに、私が日本画科を受験しようとした理由は、中学の頃からアニメの背景の仕事をしたいと思っていたからです。背景さんになるにあたって何をしなければならないのか、答えは単純でした。「水性の絵具で何でも上手く描ける技術を身につける。そのために大学の日本画科で勉強する。」良くも悪くも、私が日本画科を目指そうとした第一歩は「素材が好きだから」とか「日本画の作家・作品が素敵だから」ではなく「とにかく絵を上手く描けるようになりたい」という純粋な思いでした。

しかし、いざ日本画科に入ってみるとどうか。まず感じたのは素材が非常に扱いづらく、全く思うように描けないという事です。ここで一瞬にして当初の目的から遠ざかり、「日本画の素材をうまく使いこなして描けるようになりたい」という思いが生まれました。同時に、美術館等で作品を観る目も変わり、どうやって描いているのか、技法は?素材は?そちらばかりに気をとられてしまいがちでした。描くのも、観るのも、素材というフィルターを通して考えてしまう。更に学ぶ環境によってはそれを助長するかのように、素材・技法の事しか言われなかったり、考えること・勉強することすら無粋であると否定されたりなどといった事も、現実に存在する問題として見聞きしています。これらの様々な要素があいまって、いわゆる「(勉強しているつもりの)愚鈍な日本画の学生」が量産されているという事が分かります。

そんな中、話は逸れますが学部生の時、学内のとある展示を見て衝撃を受けました。大学から出される課題を当たり障りなくこなす中ですっかり忘れてしまっていた、何を描いたって良いという事を思い出したのです。その時はじめて課題をほぼ無視して幼少の頃から好きだった自動車を描きました。描いた当初は夢中になっていたのでそれが日本画かどうかなんて考えもしませんでしたが、自動車を描き続けるにつれて「これは日本画なのか?」「日本画なのだとしたら、日本画って何なんだ?」と自問自答しはじめました。

課題で人物や動物、風景などの自然物を描いていた時は全く気にしなかった事が、日本画というジャンルに於いて多少異質なモチーフを描くことによって、自分の中で一気に日本画という言葉が大きく揺らいたのです。一歩、ぬるい環境から抜け出して周りを見渡してみると素材論、精神論ばかり。非常に曖昧・漠然とした世界が広がっていました。また、それが分かっていながら諦めて放置している、若しくはそれを良しとまでしている実態も、大学院まで進み多少社会と繋がるようになって少しずつ見えてきていました。

そして今年の3月、大学院修了を目前に東日本大震災が起こります。

政府の対応、マスコミの情報操作、ネット上でのデマ。若輩者ながら、日本のトップとはこれほどまでに脆い構造でできていたのかと思い知らされました。蓋を開けてみると嘘や我欲に満ち溢れている。それはまさに私が感じた日本画の世界とさして変わらないように思えました。

東日本大震災が起こった日、東北で地震が起こった事は耳にしましたが、日常に慣れすぎた私は完全に甘く考えていました。目から耳から情報が次第に入るに連れて、日常に慣れきった自分に気づき愕然としました。しかし私がどんなにテレビの光景に絶句しようとも、被災者の絶望には到底及ばない。「がんばろうニッポン」とテレビの中で言っているのを聞いても、間違っても自分はそんなこと言えない。なぜなら私には幸いな事に住む家もあるし、普通にご飯も食べれる。そんな状況の中、上から目線でがんばろうだなんて言えるわけがないと考えているからです。

それでは自分には何ができるのか。もちろん募金はしましたが貧乏絵描き一人の募金など焼け石に水です。何よりも一人の絵描きとして何かをしなければならないと思うに至りました。恐らく私以外の様々なアーティストもそう感じて現在チャリティーオークションなどの活動が活発に行われているのだと思います。

しかし私の場合、情けない話ですが実際に何かを描こうと考えても、すべて自分の本心ではないように思えてどうしても何も描けませんでした。「被災地に向けて」とすると具体的なモチーフを何も描かない事で画面を構成する事でしか自分の気持ちを表せないと思いましたが、それではただのカッコつけや自慰行為、逃げでしかありません。むしろ普段描いているような作品に震災の事実を落とし込む事で、自分自身に、または被災していない人々の心に刻み込めるのではないだろうか。

震災の状況をテレビで見て、まるでおもちゃの様に津波に流されていった大量の自動車の映像は目を疑いました。もちろんコンテナや家すらも流されていたのですが、元々自動車をメインのモチーフとして描いていたので印象が強かったのです。自動車が海水に浸されると近い将来錆びでボロボロになります。

私自身、2年前に祖父を山で亡くしており、数ヶ月後に発見されて遺体確認をする際に見たあまりにもショッキングな光景は今でも脳に焼きついているのですが、その光景と自動車が錆びてボロボロになって朽ちた様子が私の中でリンクしました。元々自動車のフロント部分を顔に見立てる作品を描いていたので、そこに朽ちてゆくイメージ、死を連想させるような作品にしようと思いました。何不自由ない日常を過ごせる私たちは、いつの間にか記憶が薄れ「死」というものを忘れていってしまいます。しかし震災直後の現在抱えているこの強い思いは絵として残すことができます。故に今回の展示では「メメント・モリ(死を忘れるな)」をテーマに作品を制作しました。

話は「日本画」に戻りますが、震災後の日本画の展覧会を見ていても、この日本という国で起こっている重大な事件をテーマにした作品があまりないことに気づきます。何事も無かったかのように自分の普段どおりの絵を描き続けていて、それがあまりにも現在の社会とかけ離れている。そういった事があらわになっています。

まるで原発の事実を隠し通そうとした一部の人のような、自分にとって不都合な事だし無かったことにしようというあまりにも無責任な印象を受けます。日本という名を冠する絵画であるはずの日本画が、日本の社会とは全く別の場所(ひどく個人的で小さなコミュニティーの中)で存在している事に強い確信がもてました。こんな状態では日本画は世界に誇れる文化だなんて言えるはずがないと思います。

これから私達が行っていかなければならないのは、我欲を捨て去り、社会を鋭く見つめ、歴史も踏まえながら、今の時代を映す作品を作ってく事なのではないかと考えています。無責任で社会と繋がろうとしない言わばニート状態の日本画から脱却し、社会とコミットして自分の作品に責任を持ちながら、これからの日本画を形成する一人の作家として作品を作り続け精進していきたいと思います。

制作風景

Face, 2010

 
Face, 2010

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