ステイトメント

田村吉康

私は美術の専門教育をほとんど受けた事がありません。美大はおろか、美術の専門学校にも行ったことがありません。しかし、私は高校生の頃から、主に集英社の「月刊少年ジャンプ」のお世話になって、マンガを描いてきました。現在「バクマン」という、マンガ制作の現場を描いたマンガが人気ですが、実際にはそれよりはるかにシビアな世界で、アシスタントをし、読み切りを描き、短編集を発売し、連載をさせていただきました。

ヒットするには程遠い状況でしたが、若い頃から仕事として、収入を得る手段として、マンガを描いてきました。

一方で、余暇の趣味として、絵画を描いてきました。マンガの絵柄とはあえて全く違う、いわゆる洋画風な、写実的な絵を描いておりました。画材などの知識は、美術雑誌や技法書等の、書物を手がかりに独学しました。私の中では、マンガは仕事、絵画は趣味、と自然に区分され、そのことに当時はさして疑問も抱きませんでした。

なぜなら、色々なご縁でたくさんのマンガ家や画家の先生とお会いさせていただく機会が増えるにつれ、日本のマンガ家と画家とでは、作品を見せる相手(読者・鑑賞者)に対する態度が、全く異なっているように感じられ、マンガと絵画は、一見同じ「描く」という作業ながら、私には全く違うものに思えていたからです。

マンガは印刷され、複製され、本として流通することで作品として完成し、本が売れることで収入が発生します。当然、できるだけたくさんの読者に受け入れられ、幅広く好まれる作品作りを目指します。読者のニーズをリサーチし、出版社と打ち合わせを重ねて描きますが、時には作者の嗜好や意図よりも、読者や出版 社のニーズが優先されることも多々あります。たとえ自分が描きたくないものでも、ニーズに合わせて描くわけですから、これは仕事だ、と認識していました。

一方、絵画は一点制作であり、それが誰か一人に買われれば売買は終わりで、世の中の幾多の人々の支持を得ようとするマンガとは、制作の際の認識が違ってくるのも当然だと思っていました。実際、あるベテランの美大の先生にお会いした際には、「絵が売れるというのは車の事故にあうようなもので、めったにあることではないし、いつ売れるかなど判らないのだから、ただ自分の好きなものを好きなようにたくさん描けば良いのだ」と言われ、そういうものかと思っていました。自分が描きたいものだけを、売れることなど考えずに描くわけですから、これは趣味だ、と認識していました。

また、マンガと絵画の、オリジナルと複製に対する認識も大きく違いました。マンガは、印刷された本という形の、複製物が作品としての完成品であるため、コピーライト、著作権に対して非常に敏感です。反面、手描きのオリジナル原稿は、「印刷の素材」に過ぎないため、比較的おざなりに扱われることもありました。以前、「金色のガッシュ」の作者、雷句誠先生が、原稿の取り扱いについて 裁判で問題提起されていましたが、実際には、マンガ家本人すら、原稿を丁寧に扱わない場合も見受けました。

一方、一点制作の絵画は、オリジナルの原画を当然大切に扱う反面、撮影自由な展覧会もあり、コピーライトに関してはあまり認識が高くないように見受けられました。このように、マンガと絵画は私にとって、全く別の事柄でした。そのまま、マンガは仕事、絵画は趣味、と割り切って描き続ければ、ある意味、とても楽だったのかもしれません。

しかし近年、そのマンガと絵画の関係や、それを取り巻く社会情勢が次々と変化してきました。特にマンガに関しては、出版不況が叫ばれて久しく、私が長年所属していた集英社の月刊少年ジャンプすら、休刊になってしまいました。週刊少年ジャンプ程ではないにしろ、業界でも大手の出版部数を保っていた月刊少年ジャンプの休刊は、私にとっても大きなショックでした。他の出版社も同様の厳しい状況で、有名 出版社の倒産も相次ぎました。大ヒットマンガの単行本のみは売れるものの、とにかく雑誌が売れないのだそうです。

その原因は、リーマンショックなどの社会情勢も関係しているとは思いますが、ブロードバンドの普及に伴う、情報伝達方法の変革が、一番大きな要因だと思います。これまでは、質の悪い紙に荒い白黒印刷で、 大量の雑誌を刷り、それを全国各地に毎週・毎月ばら撒くのが、最も効率的なマンガの伝達方法でした。それが、インターネットのブロードバンドや、携帯端末の発達により、より早く低コストで、精度の高い複製伝達方法が確立してしまいました。

さらに、pixiv等の画像投稿サイトの隆盛、そこで公開されるイラストの量の多さと評価のリアルタイム性、情報やコンテクストの共有化のスピードには、目を見張るものがあります。今後さら に電子書籍などの普及が進めば、プロとアマチュアの境界はますますあいまいになり、そこではもはや、これまでのようなマンガの商業モデルは存在しえないかも知れず、コピーライトやオリジナリティという概念自体、大きなパラダイムシフトを迫られていると感じました。

また、絵画の分野でも、村上隆先生の回顧展 のタイトルが、ずばりコピーライト(c)MURAKAMIで あったり、ルイ・ヴィトンとのコラボレーションをなさったりしているのを目にしているうち、絵画というものへの認識が大きく揺らぎました。また、「スラムダンク」「バガボンド」の作者であるマンガ家、井上雄彦先生が上野の森美術館で行った「最後のマンガ展」も大きな衝撃でした。マンガのストーリー性と、美術館という公共施設の壁面の特徴を最大限利用した展示は、それまで私の中にあった「マンガ家」「画家」というカテゴライズを破壊しました。

そのような時代の変革を目の当たりにする中で、私は次第に、これまでの自分の、マンガは仕事、絵画は趣味、という割り切り方は、ただの思考停止であり、怠慢であり、傲慢ですらあるように感じられてきました。

そこでまず私は、これまで私が仕事として描いてきたマンガの、歴史を勉強し始めました。これまで無意識に行ってきたコマ割や視線の誘導、ストーリーの構成が、いかなる歴史的な背景を持つものなのか、様々な文献を読み、また、手塚治虫先生の元担当編集者だった方や、昭和初期に「貸本屋」だった方にお会いしてお話を伺うなどしました。手塚治虫先生以前のマンガ、絵物語や紙芝居、さらにそこから、北斎漫画や、信貴山縁起絵巻へと遡りました。

また、日本のマンガとは全く違う文脈から発生した海外のマンガ、ヨーロッパのバンド・デシネ(BD)の存在を知り、BD作者の第一人者であるメビウスともお会いする機会に恵まれ、日本のマンガと比較し始めました。そして今、私は日本の美術史を勉強し始めたところです。明治維新に際して作られた「日本画」以前の、日本美術と、マンガとの関係性について調べ、考えています。

例えば、浮世絵とマンガはとても似ているように思えます。両者とも、安価な印刷物で、市民の人気に支えられたサブカルチャーであったということだけでなく、制作に対するアプローチの仕方や、日本では正当な美術として評価されない時代があり、一方、海外で日本独自の文化として再発見・評価されてきた経緯等が、とても似ていると思いました。そして、江戸時代の浮世絵師達が、大量生産の浮世絵を制作する一方、一点物の「肉筆浮世絵」を描いていた事実を知り、興味を持っています。

明治以降、日本の美術のメインストリーム で、洋画に対抗して「日本画」が創設されるなどする一方で、その全く埒外のサブカルチャーの分野で、浮世絵が衰退し、紙芝居や貸本が流行し、子供向けの雑誌が創刊され、その内容も絵物語からマンガへと変わりました。現在の爆発的なマンガの流行と、浮世絵に代表される昔の日本の美術との間には、もしかしたら共通した日本人独自の、美意識の粋のようなものがあるのかもしれない、そして今、マンガ 的・現代的な要素を取り入れた「肉筆浮世絵」を描くことで、その美意識とはいかなるものか、また日々進歩を続けるテクノロジーの中での、これからの「コピー」と「オリジナル」の意味や、これからあるべき作品製作の姿勢等を、自らの中で学び、問い直してみよう・・・ というのが、現在私が作品を制作している動機です。

しかし、これらの勉強や試みは、まだ始めてから日も浅く、自らの中にはっきりとしたアイデンティティや方向性も確立されておりません。なによりも、歴史的なコンテクストに対する勉強不足、そして自らの無能さとに日々さいなまれ、絶望感と戦う日々です。

作品も、これまではpixivにアップする以外の発表方法はあまり考えておらず、正直、全く自信がありません。しかし、今回このような発表の機会を頂き、身に余る光栄です。様々な御批判もあろうかと思いますが、私の未熟さを少しでも克服する糧にさせていただければと考えております。

最後に、先の大震災は、当然のことですが、 私にとっても大きな衝撃でした。様々な価値観が変わりました。しかし、私はまだそのことについてはここには書けません。あまりにも大きな衝撃だったので、まだとても文章に書けるほどには整理がついておりません。しかし、今回の震災に伴って明らかになった、原子力発 電所などに関する様々な問題は、ずっと以前から存在していた日本の問題点であり、それは美術や、他の様々な分野、そして私個人の問題 にもリンクしているのだと思います。それについて考え、克服する方法について模索していきたいと考えております。

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